これは下山後紀行文として書いたものです・
・ 思い出の山・朝日連邦山行 今回の朝日岳山行は私にとっては思い出深い山、 20数年振りの山行であった。 (娘を背負っての登山・亡くなった友との真っ赤な夕日が沈む中、酒を飲みながらの語らい等) すべてのコ-スが尾根末端から取り付く為、稜線に立つまではどのコ-スを採っても厳しい急坂の登りである。 日暮沢コ-スも同様に初端から急坂の登りである。久しぶりの20数kgのザックの 重さが肩にくいこむ。ブナ林の木の根の階段を、ゆつくり・一歩々喘ぎながらの歩行となった。 (玉ちゃんも17㌔の重さ・山口さんも、初めての山・2泊の小屋泊と初経験の縦走登山である。) 天気も良好で最高の登山日和とみえた? 新築した2階建の日暮沢小屋の駐車場は、 県外ナンバ-(新潟・宮城・千葉等)多数すでに停まっていて登っている様子。 9時に登り始める。急坂の深いブナ林の間を1時間程登ると、青空の中遠くうっすらと 三角の形をした朝日岳が、どっしりとそびえ立って、待ち受けているのが垣間見える。 後ろを振り返ると月山・葉山が微かに見える。全員すこぶる元気である。 2時間30分ほどでコロビツ水場に着く。水の補給と思いきや、水は枯れていた。 昼食をとりゆっくり休憩することにした。 足場の悪い急坂を登ること1時間程で視界が開けてきて清太岩山に登りついた。 そこからは、南北に連なる大朝日岳から以東岳まで主稜線がハツキリ見ることができ、 鳥海山・月山・葉山又山形市街・前方には今日の泊まりの竜門小屋が確認できた。 奥深い雄大な連山の展望に疲れを癒され、感動で言葉も失って見入ってしまった。 私の今回の登山の目的である夕日が、日本海に沈むのを見るのを楽しみに歩を進める。 鞍部まで急坂な下りとユウフン山のハイマツの登りである。 リンドウ・たけの低い真っ赤な実をつけたナナカマド・十文字草が咲き誇って迎えてくれた。 突然両太股に違和感。強い痛みが走る。玉ちゃんの筋肉痛の薬を塗るも立ち上がれない。 山口さんのザックと交代してもらいユウフン山頂になんとかたどり着く。 痛みも治まりホットする。17時竜門山分岐に着く。玉ちゃん元気に歓声ハイタッチ。 気温が下がり、風も強くなり夕日も雲の中。残念!!! 小屋に入り早速玉ちゃん夕食の準備。今日は30人程の泊まりで満杯であった。 ビールでまずは「乾杯!!!」疲れた身体にビ-ルの美味さよ!!! 「生きている実感」? 疲れている中、玉ちゃん豪華な夕食つくり大変おいしかつたでした。 気温が下がり・風もますます強くなる前線が通過しているようである。 外に出てみると満月。18日は十五夜である。星はチラホラ。新潟市・村上市の明かりが 遠く暗闇に輝いていた。7時就寝。明日が心配。「グ-・グ-」いびきの合唱。
18日
朝から2・30メ-トルの雨混じりの強風となる。視界もガスできかない。 玉ちゃんとオニギリを作りながら迷う。 実行することにして7:30大朝日岳に向かう。緩斜面の縦走路が西朝日岳まで続く。 リンドウ・ナナカマド・トリカブト・ウメバチソウの花々が咲き誇って、疲れを癒してくれる。 紅葉も間近である。3時間程で大朝日岳頂上に立つことができた。玉ちゃん平和の鐘を カランカラン。大朝日岳にこだまする。「天気のよい日又来いよ。」 強風とガスの中で記念写真を撮り下山。16時30分竜門小屋に戻る。 高いビールを飲干し、ゆっくりと夕食。 山口さん停滞していた新潟の馬場夫妻・山形の高橋さん・宮城県の佐藤さん達と山談義。 お酒をごちそうになりいい気分。之もまた登山の楽しみである。 馬場夫妻はお互いにいたわりあって、あったかなご夫妻であった。
19日は
朝から雨交じりの強風であったが天気も回復の予報。 高橋さんから一緒に下山の申し出。皆で下山することにする。各々の山の情報を交換しながらの楽しい下山。 天気も回復して5時間で日暮沢小屋に無事着く。玉ちゃん全員に無事下山のハイタッチ。 またの再会を願って別れる。 晴れ・雨・風・ガスと気象状況の変化の中、標高は2000mに満たないが、山容の重厚さ・ 奥深さ・清太岩山からの連山の緑の美しさ、又山好きの人との交流と十分に満喫した 山行でした。(夕日・御来光を観ることができなかったことは残念でしたが) 又重い荷物を背負った玉ちゃんの頑張りに、感心しました。お疲れ様!
* 咲いていた花等 リンドウ・トリカブト・十文字草・ウメバチソウ・タカネマツムシソウ
潅木類 ブナ林・ミヤマナラ・ナナカマド
井上記