2019年4月21日日曜日

ソ-ラ日記・・観光地散策・・

松島の西行戻りの松の桜を観に行く途中に実家の近くの東照宮で
20~21日に春祭りをやってるのでお参りしてきました。
朝の8時前でしたから関係者が神輿の準備等してました。
残念ながら拝殿西側のしだれ桜、境内北側の山桜など80本の桜の見頃が過ぎてました。
春祭りの頃が見頃なのですが今年は早く咲いてしまったようです。

・・朝早く出かけるんですね・・ふ~~ん知らん・尻向けて・(ー_ー)!!

・・東照宮の春祭り・・(20~21日)

    ・・知り合いがいました。・・
・・松島の西行戻りの松の桜・・

西行法師が諸国行脚の折、松の下で出会った童子と禅問答をして敗れ、
松島行きをあきらめたと伝えられる場所。
園内には約260本(ソメイヨシノ、オオヤマザクラ)ほどの桜が植えられており、
景勝地の場所で丁度桜が咲き誇って見頃を迎えてましたが
10時頃着きましたが天気が曇りで遠くの景色がぼんやりしてました。
50数年前松島の友と眺めてましたがその当時桜を植えたばかりでしたし
観光客にも知られていない所でした。
   今朝は結構朝早くから観光客が大勢来てました。
テレビで報道されたようです。
芭蕉の師、西行
 988年能因法師誕生、1118年西行誕生、1644年に芭蕉生まれる。 芭蕉との間には500年以上の差がある。だが、芭蕉は西行や能因法師を師と仰いでいた。 
  芭蕉は1680年、37歳の冬に日本橋から草深い深川に隠棲する。なぜなのか、原因は諸説とりざたされているが、実際は不明である。この深川隠棲が芭蕉の俳諧に大きな転機をもたらすことになった。
 芭蕉は深川臨川庵で仏頂和尚について禅を学んだといわれる。この頃、仏頂和尚の教えによるものか、荘子・杜甫の漢文や漢詩について学ぶ機会があったようだ。同時に、西行についての書物にもふれる機会があった。
 芭蕉はいつ頃から西行に親しむようになったのだろう。芭蕉が西行の歌を意識した句や言葉を残したのは「野ざらし紀行」「笈の小文」「奥の細道」においてである。



       
・252m の朱塗りの橋「福浦橋」・福浦島・・



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