2011年10月15日土曜日

夜明け前・・

昨晩から強い雨音で降り続いていた雨も
夜明け前の5時過ぎには少し小ぶりになる。
ク~も起きてきて外の様子を見るが・
散歩は無理と判断したのか・又二階に上がって
寝に行きました。今日の研修の下調べしていたら・
又6時前に降りてきて今度は散歩は大丈夫と
一緒に散歩に出かけました。
生暖かな風が吹いている中・雨も一時止んでくれた。
すすきを何本かとって・今夜15夜なので
飾ってク~と花より団子(少しね??ク~はジャーキ-で)を
楽しむか・?・・

雨が降ってるね・・もう一度寝てきます(-_-)zzz

6時前に又降りて来て外を眺めてます・・
散歩大丈夫だね・・

るりぴよさんちのバラ一輪綺麗に垣根から覗いてました。






「夜明け前」--島崎藤村

時は幕末、中仙道木曾馬籠宿(まごめ)で17代続いた本陣・庄屋の当主、
生まれてすぐ生母と死に別れた、
青山半蔵は、向学心が強く平田派の国学や漢字を学んでいた。特に王政復古に陶酔する半蔵は、
山林を古代のように皆が自由に使う事ができれば、生活はもっと楽にできるであろうと考え、
森林の使用を制限する尾張藩を批判していた。
下層の人々への同情心が強く、新しい時代の到来を強く待ち望んでいた。
やがて、大政奉還で明治維新を迎え、待ち望んだ王政復古の実現を信じて歓喜するのであった。
しかし、現実は、西洋文化を意識した文明開化と、政府による人々へのさらなる圧迫などで、理想を裏切られるのであった。
さらに、明治政府は、森林を国有林として伐採を禁じた為、
半蔵らは連名で嘆願書を提出するが、半蔵は首謀者とされ戸長(こちょう)の職を失う事となった。
のぞみを失った半蔵は、憂国の歌を記した扇を天皇の行列に「投進」し、
罰金を科せられる事になってしまう。
その後、半蔵は、絶望のふちに追い込まれ、飛騨で宮司となるが、
ついには心を病んで幻を見るようになる。
そして、故郷の寺に火を放って、幽閉されてしまうのであった。
「わたしはおてんとうさまも見ずに死ぬ」
と言い残し、牢屋の中で56歳の生涯を閉じるのであった。

という・・あらすじのネットがあります。

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