歴史
6世紀頃に始まったゲルマン民族やフン族の侵入に伴って、湿地帯だったところに住民が避難して生活を始めたのがベネチアの始まりとされる(最初に町として発達したのは現在のトルッチェロ島、後にフランク王国の派兵からさらに逃れる形で人々が移り住んだ結果、現在のベネチア本島リアルト地区が町として発達する)。足場が悪い湿地帯であることが幸いして侵入者の追撃を避けることができたため、避難した人々がそこで生活を続けるようになり、現在のベネチアの原型が作られた。その後、9世紀はじめに、エジプトのアレキサンドリアに安置されていた福音書著者聖マルコの遺骸を略奪してベネチアに運び、守護聖人として安置するようになった(現在のサン・マルコ寺院)。現在でもベネチアでは聖マルコをベネチアの守護聖人としてあがめている。
11世紀になると、アドリア海沿岸の海上防衛の代償として貿易特権を得たことや、その後の十字軍遠征、さらにはそれに伴うアジアとの貿易との拡大により東西貿易の基地としてベネチアは勢力を拡大、13世紀初頭にはベネチアの艦隊がコンスタンティノープルを攻略するほどにまで力を付け、アドリア海沿岸の港市の多くがベネチアの影響下に置かれた。また、この時期にベネチアの商人であったマルコ・ポーロがシルクロードを経て元へと旅行し、そのときの様子を後に『東方見聞録』としてまとめている。
アドリア海とその周辺で勢力を誇ったベネチアも、15世紀になるとオスマン帝国の進出に伴ってその勢力にもかげりが見え始め、1538年のプレヴェザの海戦を契機に、オスマン帝国に地中海の制海権をほぼ押さえられることとなった。さらに時代が下った18世紀末から19世紀初めにかけてベネチアはナポレオンの侵略を受け、ナポレオン支配下のイタリア王国に帰属した。その後一時期オーストリアの支配を受けた後、1866年の普墺戦争を契機として再びイタリア王国に編入され、現在に至っている。
1987年には、『ベネチアとその潟』が世界遺産(文化遺産)に登録された。
6世紀頃に始まったゲルマン民族やフン族の侵入に伴って、湿地帯だったところに住民が避難して生活を始めたのがベネチアの始まりとされる(最初に町として発達したのは現在のトルッチェロ島、後にフランク王国の派兵からさらに逃れる形で人々が移り住んだ結果、現在のベネチア本島リアルト地区が町として発達する)。足場が悪い湿地帯であることが幸いして侵入者の追撃を避けることができたため、避難した人々がそこで生活を続けるようになり、現在のベネチアの原型が作られた。その後、9世紀はじめに、エジプトのアレキサンドリアに安置されていた福音書著者聖マルコの遺骸を略奪してベネチアに運び、守護聖人として安置するようになった(現在のサン・マルコ寺院)。現在でもベネチアでは聖マルコをベネチアの守護聖人としてあがめている。
11世紀になると、アドリア海沿岸の海上防衛の代償として貿易特権を得たことや、その後の十字軍遠征、さらにはそれに伴うアジアとの貿易との拡大により東西貿易の基地としてベネチアは勢力を拡大、13世紀初頭にはベネチアの艦隊がコンスタンティノープルを攻略するほどにまで力を付け、アドリア海沿岸の港市の多くがベネチアの影響下に置かれた。また、この時期にベネチアの商人であったマルコ・ポーロがシルクロードを経て元へと旅行し、そのときの様子を後に『東方見聞録』としてまとめている。
アドリア海とその周辺で勢力を誇ったベネチアも、15世紀になるとオスマン帝国の進出に伴ってその勢力にもかげりが見え始め、1538年のプレヴェザの海戦を契機に、オスマン帝国に地中海の制海権をほぼ押さえられることとなった。さらに時代が下った18世紀末から19世紀初めにかけてベネチアはナポレオンの侵略を受け、ナポレオン支配下のイタリア王国に帰属した。その後一時期オーストリアの支配を受けた後、1866年の普墺戦争を契機として再びイタリア王国に編入され、現在に至っている。
1987年には、『ベネチアとその潟』が世界遺産(文化遺産)に登録された。
宮城県美術館 |
北庭の方に回って帰ったきたら・沢山のブロンズ像がありました。
1912年、宮城県黒川郡大和町落合舞野に生まれる。6歳で父が死去したため幼少期は母の実家である北海道夕張で過ごす。女優佐藤オリエは娘・・・
1912年、宮城県黒川郡大和町落合舞野に生まれる。6歳で父が死去したため幼少期は母の実家である北海道夕張で過ごす。女優佐藤オリエは娘・・・
お墓参りも済ませていたので、今日は仕事の事を忘れて、午前中はヴェネツィア展を
鑑賞してきました。1000年も続いた水の上の都の都市・・商人の歴史・
マルコポ-ロ・バスコ-ダガマ・とか・・昔学んだかな・・
美しい町並みの写真・グラス・絵画・華麗な服装・彫刻等々を鑑賞して楽しんで、
帰って来て、ク~と泉ケ岳の水芭蕉の様子を見に行ったが
積雪がまだまだあって・水芭蕉は雪の下でした。
やはり4月中ごろかな・・スキ-場も今朝降った雪が積もってまだ
滑れる状態のようだけど終了の知らせが書いてあった。
レストランも取り壊されていて様変わりの様子・・
今日は
久しぶりにのんびりできた一日でした。
自分の部屋のテレビを、遅まきながら地デジ対応テレビにしましたが・
(アナログテレビにジデジまで何日と大きく出て見にくかったこと・
余計な知らせ・・勝手に切り替えて・・テレビもったいないこと・・)
我が家は有線なので・・部屋にも線をつけてもらう工事依頼していて29日に
来ることになっていたが、
(高いアンテナつけないと見れないと言われた)
試しに・室内アンテナつけたら、奇麗な映像が見れました。
工事しなくてすんで・・良かったです。
2 件のコメント:
今日、八木山で仕事があったので県立美術館の前を通りました。
世界遺産 水の都のヴェネツィア展の看板が大きく出ていて、ちょっと見てみたいと思いました。
今日は一時雪が舞う寒い一日でしたね。
泉ヶ岳の水芭蕉も未だに深い雪に覆われていますね。今年の開花は少し遅くなりそうですね。
私の家には旧ブラウン管で、地デジチューナーで見ているテレビが2台あります。
こんな政策が理解できないて、来月から急にテレビが見えなくなるお年寄り世帯もあるのでしょうね。
ハイビジョン画質もいいですけど、もう少しハイビジョンの画質を生かした番組作りが求められますね。
SONE さん
お早うございすます・・
暖かな春の日差しを浴びてク~といつもの
散歩でした。残雪の山々が青空に浮かんで
奇麗ですね。
お仕事の途中・・美術館の前を通過でしたね。
沢山の方が観に来てました。
歴史を感じる色々な展示品でした。
音声ガイドかりてゆっくり見てきました。
イタリアは今は経済的に大変な時代になってますが・・その昔は商人たちが活躍して
豊かな歴史を作ったようですね・・
「東方見聞録}マルコポ-ロ・羅針盤・
海図などルネッサンスの素晴らしい
時代など・・大海原の海洋に出て
世界中を冒険心と商人魂で観て回ったのでしょうね
今年は本当に雪が多いですね。
久しぶりに山の雰囲気を味わってきました。
本当ですね・テレビの番組本当に
観るものないですね・
お年寄りは、とても地デジチューナーなど
設置できませんね・・
お金もかかるしね・時代とは言え・・
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