2013年2月3日日曜日

七っ森周辺散策


窓辺にプリムラ ポリアンサ 「無言の愛」
 
今朝は、青空で日差しがありますが
泉ケ岳おろしの冷たい強風が
うなっています。
昨日は久しぶりの冬の晴れ間になり
我が家の前の道路の雪を融かす作業を近所の方としてから
七つ森周辺を散策してきました。
風が冷たかったですが人もほとんどいない静かな
湖と七つ森を眺めて、新鮮で安価な野菜市場で野菜・
ペットショップでク~のおやつを買い
フラワ-ショップに寄って帰ってきました。
上記の鉢買ってしまった。
伝説の山の物語をネット調べですが載せました。
 
 
七っ森主峰・・笹倉山(大森山)
鎌倉山
蜂倉山、大倉山、撫倉山
宮床ダムにて
 
 
 

七つ森伝説(七つ森と朝比奈三郎)

ずっとむかしのことだが、加美の郡(こおり)に朝比奈三郎(あさひなさぶろう)という力の強い男がすんでいた。 あるとき、朝比奈三郎は弓のけいこをしたくなった。そこで、弓の的になるような山はないかとさがしてみたが、ずーっと見とおせて、しかも、ひっこっと頭をもたげたようなかたちのいい山がみつからない。いっそのことつくったほうが早みちだと考えた。 的山をつくるにはたくさんの土がいる。どこかいい土取り場はないかとさがしあるいて、黒川郡の方までやってきた。そして、今の大郷町の東の方に広い広い原っぱを見つけた。 今度は、土運びの道具づくりだ。朝比奈三郎は、西の方にでんとかまえている船形山(ふながたやま)から、よくしなるクヌギの木を五、六本切って骨組みを作り、フジづるを結びつけて、タンガラモッコを作った。 そして、このタンガラに土をいっぱいもりあげると、しりを地べたにおろしてせおい、なわにうでを通すと、むーんと力をこめ、「よいしょ。」とかけ声をかけて立ちあがり、一足ごとに「えんこら、えんこら。」と声を出し、調子をとりながら歩きだした。 しかし、いくら力持ちの朝比奈三郎でもさすがにつかれて、とちゅうで一回は休まねばならなかった。ゆっくりとこしをおろして、手をついてから、ずんとしりをおろすと、タンガラのあぶ(あみ目)からドスッと土がこぼれた。栗駒山(くりこまやま)の方からふいてくる風は、つっーとあせの玉をころがして、とっても気持ちのいいものだ。 七かえり(七回)土を運んだら、どうにかいいあんばいの的山ができた。休むたんびにこぼれた土が、これまた、ほどよい形の山を七つ作った。 その山は、七つ森(ななつもり)とよばれ、一番高い大森山(おおもりやま:506メートル)はクマザサが深くしげっているので、笹倉山(ささくらやま)ともよばれ、 頂上にはお薬師さまがまつられている。 マツの木の多い山が松倉(まつくら)、とがったのが逐倉(とがくら)、そして大倉(おおくら)、鉢倉(はちくら)、鎌倉(かまくら)、撫倉(なでくら)とならんでいる。 逐倉山のこしにあるとがった小さな山は、タンガラに残った土をたたきおとしたときにできたので、タンガラ森というのだが、あんまり小さいので、これは七つ森のうちには入らないことになっている。 黒川郡富谷町や大和町あたりから西の方をながめると、朝もやにけぶる七つ森は、まるで七人の兄弟のようによりそって見え、まっ赤な夕陽がしずむときの七つ森は、まるで朝比奈三郎が大弓を持って矢を射こんでいるように光がはしって見えるという。 的山ができあがると、いよいよ弓のけいこだ。よくしなるイヌガヤの木にフジづるをぴーんとはって、篠(しの)の三年竹の矢をつがえて、ピューン、ピューンと的山にむけて射こんだ。 もともと朝比奈三郎は弓の名人だから、一本としてはずれることはなかった。それにしても、おとなが百人がかりでもひけないような強弓をブーン、ブーンと張るのだから、朝比奈三郎はたいした男だ。 一千本の矢を射つづけたので、的山に矢を集めにいってみると、矢のささったあとには、ぽっくりとあながあいてはいるものの、一本の矢も見つからない。しかたがないので、また、矢を作って二回目のけいこをやった。 一千本射つづけて、また矢をひろいにいってみて二度びっくりした。やっぱり、矢は一本も見あたらないのである。的山が矢をくってしまったのだ。それからだれいうともなく、この山を矢喰(やくらい)山とよぶようになった。 加美(かみ)郡中新田(なかにいだ)町あたりから西の方に、ちょうど、富士山を小さくしたような美しいかたちの山が見えるが、それが薬莱山(やくらいざん:553メートル)で、加美富士ともよばれている。 朝比奈三郎が、タンガラいっぱいの土をせおって、えんこらえんこら、七かえりも行ったり来たりしたところには、大きい足あとのへこみがつづいて、大雨がふると川のように流れたものだ。 これが黒川郡大和町の吉田から桃生(ものう)郡鳴瀬(なるせ)町まで流れている吉田川で、土をとったあなに雨水がたまって品井沼(しないぬま:志田郡鹿島台町)になった。 品井沼は、むかし仙台領ではいちばん広い沼で、頭の先に巴の型がついた巴ブナがすんでいたし、食用になるヒシがいっぱい生えて、秋になると、人びとは小舟にのって、のどかに歌をうたいながらヒシ取りをしたものだが、今はすっかりほされて、りっぱな水田になっている。
出典・「宮城の伝説」:宮城の伝説刊行委員会発行

http://www.isn.ne.jp/~ym/miyagi/7-mori.html

4 件のコメント:

SONE さんのコメント...

いやぁ~この伝説のお話は一部しか知りませんでしたが、改めて伺うとスケールが大きい話しですね。
昔のかたの想像力の豊かさには驚きます。
このところの暖かで、山の雪も一気に減ってしまったのが分かりますね。

koyo さんのコメント...

まぁー、本当にたまげた!(笑)
大きな話と言っても大き過ぎますよね。
大地が広いからこんな昔話が生まれたのでしょうね。
楽しく読ませて頂きました。
ク~ちゃん、ずいぶん大人しくなってしまって。
寒いからでしょうね。

ino ku さんのコメント...

SONEさん
お早うございます。
七つ森ができた伝説の話しは
聴いてましたがなるほどと
山を一つ一つ登るとその姿を感じとられますね。
タカラ森の事等楽しく私も読みました。
意外とこの話知っている方少ないかもしれませんね。

本当に暖かくなると一気に雪も
融けてしまいます。

春の雪山に登るのが待たれます。
まず検査結果次第です。

ino ku さんのコメント...

koyoさん
お早うございます。
昔話は面白いですね。
山ができたいきさつは本当にあったような
話を作りましたね。
東野物語を聴きましたがそれと同じですね。

ク~はここでも随分遊ばせたのですが
大人になって寄り添って余り離れないようにも
なりました。

夕方近くになって風も冷たかったですからね。
暖かな残雪の山に入りたいですね。
今日は春分の日・・段々春に近づきます。

講座皆さん待っててくれてやりがいがありますね。